人生の目的は、幸福を求めることじゃない

人生には、目的なんかない。ましてや「幸福」なんて、この世に存在しないものを求めていたら退屈でしかない。幸せになるには?とか、誰もが一度は考えたことがあると思う。けど、「幸福」って、なに?

 

幸福論に関する本を読めば、結論は「すでに幸せだと感じることです。」でしょ?幸福とか幸せって、曖昧すぎてよくわかんないし、言いくるめられた感じがする。本当に求めているのは、「刺激」。もっと!もっと!って求めたらキリがないけど、面白く生きていたい。

人生に目的などありはしない

この本は、「人生には、目的なんかない」ってところから始まる。タイトルにある通り、快楽を求める生き方について書いてある。哲学とは書いてるけど、読みやすくて、固定概念だったり先入観を壊してくれる面白い本。

 

「生まれてきた意味は?」とか、「何のために生きてるんだ?」とか答えの出ないことを考えてる人には、刺激的だし、もっと面白く生きていきたいなら参考になると思う。

人間と動物の違いは、なに?

「人生の目的は?」と聞かれて答えられる人は、まずいない。動物に聞いてみたら、なんて答えるだろう?言葉が話せないからね・・・聞くことはできないけど、人間も動物である。

 

動物の生活は、食べて、クソして、寝て、性交して、寿命が来て死ぬ。けど、人間には言葉がある。だから、考えることができる。その考えることができるってのが問題で、人間は自己中心的に考えすぎる。

 

牛や豚、魚だって、植物だって、人間に食べられるために生まれて来たんじゃない。存在が嫌だと感じて、殺される虫だって人間のために生まれて来たんじゃない。それでも、人間は、人間を中心に考えて、平然と殺すし、食べたりもする。

 

けど、クジラが港に迷い込んだ時には、助けた話が感動の物語になって、野生動物の狩りをして、動物の死骸と笑顔で写真を取れば非難の的になる。人間を中心として考え、発明された便利な言葉が「人間主義(ヒューマニズム)」。

人間も食べられる

人生の目的を答えられる人もいる。その人は、宗教を信じている人。動物を殺し、食べるのは、神によって定められた動物の使命となるわけ。何でもかんでも、神が答えてくれるから、自分で何かを考える必要がなくなるわけだ。

ウシやブタが不平もなく(じっさいは不平もあることでしょうが)人間に食われるように、人間はまるごと神に食われるようなものだ。それが宗教というものです。

全てが神の意志によって動く世界にいる人たちは、思考までも制限されるから、飼育されて食べられるだけの生き物になる。ウシやブタと変わらないな。それでも、神という名のご主人様がいるから目的はあるわけだ。気に入られたいとか。

幸福なんてケチくさい考え

人生に目的がなければ、覚悟を決めて、自分でつくり出せばよいのです。ケツをまくって、この人生に居直ってやればよい。といっても、それはべつにむずかしいことではない。人間は、それぞれ自分の生活から何を要求し、生活のなかで、どういうことを実現したいと望んでいるか、 こう考えれば、答えはあきらかです。

目的がないなら、つくろう!と。そして、

わたしたちすべてが求めているのは、欲望の満ち足りた状態です。

欲望を満たそうとする努力が、人生の目標だというわけです。そこで「満ち足りた生活」とは?って話になっていく。考え方は2つある。それが「幸福」と「快楽」。

「幸福」と「快楽」の違いとは?

この本では、意味を限定させるために、

・苦痛を回避しようとする傾向で、主観的で、持続的なものを「幸福」と呼び、

・進んで快楽を得ようとする傾向で、客観的で、瞬間的なものを「快楽」と呼んでいる。

 

恋愛で例えると、失恋したくないと考えるか、恋人と豪華なホテルで過ごしたいと考えるか。消極的か積極的かの違い。冒頭で幸福論の結論に「すでに幸せだと感じることです」となるって書いた。それは、誰でも幸福にはなれるということ。それでも一人ひとりが、何に幸せを感じるかは違う。だから、自分がどう感じるか?主観的である。

 

持続的とは、明日に楽しみを取っておこうとか、期待のうちに生きることで、引き伸ばされた満足であって、ケチくさい思想だとまで言ってる。

 

ぼくも、一瞬で終わってしまう快楽よりも続く喜びを味わいたいとは思う。けど、そんなのムリ!慣れちゃうし、さらなる期待を膨らませてしまうから。それでも、「幸福」を求めるよりも、「快楽」を求める気持ちの方がデカイのはわかる。ヤル気がまったく違う。快楽のためになら、多少の無理だってする。

強烈な「快楽」を味わいたい

気持ちいい!!!を超えた「快楽」って、なに?

それを知りたいってのもあって、読み進めた。

 

質問です。

あなたの「快楽」とは、なんですか?

 

・・・・・

・・・

 

・・

 

ぼくは、瞑想が何よりも気持ちいいと思っていた。だって、すべては脳が受ける刺激に対しての反応でしかないから。あと、思いついたのは、性的な快楽。他にもあるはずだよな!?って思っていた。

 

・・・残念なお知らせです。

 

やっぱり、性的な快楽が強烈だということが書かれていた。ここは残念だったな。歴史的な偉人たちも紹介されていて、芸術や学問で喜びや満足感は得られるけど、「快楽」になると性的なものになってしまう。

 

なぜかといえば、死と直結してくるから。生きていたいという欲求もあるけど、無意識レベル、さらに深いところでは、死の衝動が働いている。その死の衝動と性的な感覚が溶け合うと、相手を裏切らない絶対の保証であり、献身となる。一回の性交で、性的エネルギーの全てを放出して、残すは死のみ。って、恍惚の極限を永遠にしようとするのは美学なのか?

 

人間は死ぬ前には、性的エネルギーが高まるってのはよく聞く話で、男なら死ぬ前に勃起するらしいし、ソ連の崩壊、国がダメになりそうって時には、いたるとこで性交が行われていたらしい。

生きてる社会のルールを知る

幸福を求めても、欲望の満ち足りた状態にはならない。快楽を求めれば、性的なものになってしまう。なら、どうしたら、もっと面白く生きていけるのか?

迷信にだまされて、たいせつな自分の死を資本家連中に預けてしまってはなりません。自分の死を自分の手に握ること、そして自分の死をだれにも譲り渡すまいと堅く決意すること

日本は、資本主義社会だから資本主義について知るといい。「迷信にだまされて」というところは、資本家はレジャーにまで手を出していることを言っている。

 

著者も「誘惑を恐れるな!」と言っている。それは、たまにある休みに「快楽」を得るためにお金を使えって話ではない。誘惑は、いたるところにあるし、良い悪いもない。誘惑にどう付き合うか?個人の問題になってくるってだけ。

 

しかし、そこにも資本家の手が伸びているよ!ってこと。会社に勤めていれば、生活費と少し遊ぶお金がもらえるってことになっている。(資本論についてはこの本がオススメ いま生きる「資本論」

 

給料を全部使えば、また幸福を求めることになる。引き伸ばされた満足とも言える。だから、お金をどう使うのか?が重要になる。だからこそ、社会のルールを知るのがいいと思う。資本家に自分の死を渡さないとは、どういうことか?を考えるきっかけになるから。

毛虫のまま生きるの?

「おのれ自身を知れ。この金言は、有害であるとともに醜悪である。自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、いつになっても蝶にはならないはずだ。」

アンドレ・ジイドの言葉で、自分自身を知ろうというのはよく聞く。

 

知ったところで、自分が毛虫だったら、毛虫のまま生きていくことになる。サナギ哲学とも言われるけど、自分自身を知る以上に、どう在りたいのか?って、目の前にある壁を壊していく気持ちが大事ってことをうまく言っていると、ぼくも思う。

 

環境を知れば、外に出る方法があるかも知れない。自分自身をよく知って、ダメだぁと落ち込んだり、あきらめたりする以上に、新しい快楽を探そうよ!と言ってくれてる。

まとめ

レジャーから始まり、生命保険、マイホーム、健康第一って考えだったり、資本家の手はあらゆるものにまで伸びている。そのことを知って、「私は幸福が欲しい」って思うなら、それはそれでいいのかもしれない。知って、なお、「快楽」を求めたいってエネルギッシュな人は、面白く読めると思う。(アマゾンなら、1円に送料で買える)

「幸福」は、誰かが言ってたことだったりする。「快楽」は、自分で見つけ出すもので、誰かに押し付けられるものではない。偏見に満ち溢れたものかも知れないし、意味わかんないことかも知れない。それでも、自分で味わい、見つけていくから面白い。

 

幸福なんて、あいまいなものではなくて、求めるのは「いま、この瞬間の確かな快楽のみ!」ってことだけど、自分に正直に生きようというメッセージでもあると思う。

 

 

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